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コラム

折れない心「野村 忠宏」さん

  • 2015.11.15

|下積みの時期

 

事業価値の拡大に向けて、様々な改革を推し進める中で、日々、悪戦苦闘しております。

 

その最中、柔道家の野村忠宏さんの講演を拝聴する機会を得ることが出来ました。

野村さんと言えば、オリンピック3連覇の偉業を成し遂げた方であり、その凄さは、柔道を知らない方でも容易に想像が付くと思います。

 

野村さんの祖父は地元の奈良で道場を開かれています。

また、父親は、名門・天理高校柔道部の監督でした。

さらに叔父は、ミュンヘンオリンピック金メダリストです。

これだけを聴けば、野村さんの強さは家系、あるいは遺伝であるかの様に捉えられる方も少なくないと思います。

 

しかし、実際の野村さんは、3歳から柔道を始めたものの、中学に入学した頃でも体重が30kg程度しななく小さかったこともあって、なかなか勝てなかったのだと言います。

他の世界でも、家族に偉大な方がいると、周囲からのプレッシャーによって潰れてしまったと言うエピソードは少なくありません。

野村さん自身も一つ年上のお兄さんが強い選手だったこともあって、周囲の期待が大きいものだったと想像できます。

 

しかし、野村さんが恵まれていたのは、当のご家族からのプレッシャーは、まったくなかったのだそうです。

結果的に、勝てなくて精神的にも辛い時期に、メンタルが折れることがなかったのが、良かったのだとおっしゃっていました。

その下積みとも言える時期があったころからこそ、小さい身体でも強くなるためには、どうしたら良いのかを自分自身で創意工夫したり、厳しい練習にも妥協することなく取り組むことができたのだそうです。

 

マインド「不器用のススメ」

 

 

|才能の開花

 

結局、中学時代の野村さんの戦績は、奈良県大会のベスト16でした。

後のオリンピック3連覇の金メダリストが、県大会でベスト16でしかないのです。

 

実際に、高校進学の際に天理高校の監督であるお父様からは、決して蔑ろにしているのではなく、心配されて「無理して柔道を続けなくても良い」と言われたのだそうです。

期待の掛かるお兄に対して、あまり期待されていない自分・・・しかし、逆に反骨心に火を着けることとなり、名門・天理高校へ入学することになります。

 

そんな野村さんの才能が開花し出すのが、天理高校時代ではなく、その後に進学した天理大学でのことでした。

2年生の時に全日本柔道体重別選手権大会(1996年)で優勝したのです。

そして、それを契機に、1996年のアトランタオリンピック(男子60kg級)の代表の座をつかむことになります。

 

しかし、野村さんは、国際大会の出場・優勝経験こそありましたが、世界柔道選手権大会やアジア大会といった大舞台に出場したこともなく、周囲、ある意味、ご本人も驚く大抜擢でした。

そして、ここでも、世間から注目もされない存在が逆に闘志に火を着けました。

 

また、自分の欠点である調子の良い時と悪い時の波の大きなところを改善するため、「最後まで攻め抜く」、「絶対に諦めない」という心の部分の鍛錬にも取り組んだそうです。

実際のオリンピックでは、3回戦で対戦した前年の世界柔道選手権王者との闘いで、ポイントを2つ取られ、ラスト15秒で逆転することが出来ました。

結局、その後は、波にも乗って、金メダルを獲得してしまうのです。

 

結局、幼いころから、期待も評価もされない中で、自分を信じて、継続した力が、才能を結果として開花させてくれたのではないかと思います。

 

マネジメント「継続は力なり」

 

 

|折れない心

 

しかし、4年後、二度目のオリンピックでは、状況が大きく変わっていました。

2000年のシドニーオリンピック(男子60kg級)は、アトランタとは違い、選手としても絶頂期ですし、周囲の見る目も一転していました。

しかし、野村選手は、そのプレッシャーに潰されることもなく、「全試合、違う技で勝って金メダル」と宣言して、有言実行でオリンピック2連覇を達成します。

正に才能に開花した天才は、センスにも磨きが掛かったのです。

 

しかし、そんな天才でも、更に4年後の2004年のアテネオリンピック(男子60kg級)となれば、また、話が違ってきます。

年齢的にも30歳が目の前ですので、疲労の溜まり具合や抜け具合が以前とは違います。

また、怪我もし易く、治り難くなります。

そもそも、シドニーオリンピック直後は、燃え尽き症候群的なものなのでしょうか・・・

自分の気持ちが定まらないまま、2年間、柔道から距離を取って、実際、ほとんど、柔道をしなかったらしいです。

それでも現役に戻ることが出来たのは、オリンピック3連覇に賭ける折れない心だったのだと思います。

 

あたりまえですが、オリンピック3連覇にチャレンジできるのは、オリンピック2連覇した人だけなのです。

もう一度、自分自身が燃えるような熱い生活は、今しかできないんだと思い、アテネを目指すことにしたのだそうです。

そして、見事に代表権を獲得し、アテネオリンピックで優勝して、3連覇を果たされたのです。

 

今回の講演のタイトルは、「折れない心」でした。

 

実は、野村さんは、同名の書籍を出されていて、私も数年前に読みましたし、息子にも読ませました。

 

書籍と今回の講演を通して、「折れない心」とは、目先の勝ち(価値)ではなく、ホンモノの勝ち(価値)を手にするために、挫折から逃げることなく妥協せずに、徹底して継続する心でした。

 

正直、私共が事業において改革を推し進めたところで、直ぐに成果が出るほど安易なものでもありません。

そんな私たちへのメッセージとも取れる「折れない心」なのかと思え、自ずと心が高ぶりました。

仲間たちと共に「折れない心」で絶対に成し遂げたいと思います。

 

マネジメント「GRIT(やり抜く力)」

 

 

  我妻 武彦(Takehiko Wagatsuma) ico_sns_facebook  代表取締役社長

 

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